第5回 「逆風の中、機会信じて独立」
ベル・ツリー代表 鈴木崇雄
2000 年前半まで順調に生産を伸ばしてきた「WAGYU」交雑種は、00年の後半に入り、その需要に陰りを見せ始めます。それは、日本で起こったBSEを発端にした食肉偽装問題の影響でした。食肉偽装問題を受けて、食品の原産地表示と牛の品種の提示というルールができました。すなわち、「国産牛」は日本で生まれ育ったもの、「和牛」は日本で生まれ育ち、全国和牛協会に登録されているもの、それ以外の外来種は
「肉用専種」という呼び名になったのです。
豪州の「WAGYU」交雑によって作られた高品質牛肉のほとんどは日本向け輸出でした。それまでは、店頭で品質のよいものを相応の値段で販売していたのですが、日本の和牛の血統を引き継ぎながら豪州で生産されてきた「WAGYU」の商品も、原産国表示を「豪州産」そして品種を「肉用専種」と表示するようになりました。これでは、表示の上ではそのほかの豪州産の牛肉と何ら変わりはありません。
これによって、日本での「WAGYU」ブランドとしての販売メリットが少なくなり、品質の悪いものは値段の評価も下がり気味になりました。この値段の下降がフィードロットの収益性に影響し始めました。高品質の商品は値段が高くても売れます。しかし、今まで需要先行で作られてきた「WAGYU」の中には成績のあまりよくないものも多数含まれていました。
フィードロットの買い付け肥育素牛も、従来の「WAGYU」交雑であれば良いという風潮から、確実に高品質の牛に限るというように選択が厳しくならざるを得ませんでした。フィードロットでは、今まで積み重ねてきた生産者、種雄牛のデータを検討し、その中で成績のよい物を確保するという作業が始まりました。この作業は、ある意味今までの「WAGYU」の生産者を否定することでもあります。それまで需要先行で「WAGYU」交雑であれば市場評価を受けていたものを、成績が悪いからということで評価しなくなったからです。また、00年後半はそれまでの需要先行の風潮を受け、多数の新しい「WAGYU」の種雄牛が生産されました。この多くは従来の血統交配で作られたもので、市場の変化に対応していないものが多数ありました。これらが、00年後半の「WAGYU」市場に多数の子牛を供給することになりました。
生産者の中には、それまでもフィードロットから成績をきちんとフィードバックしてもらい、それに基づいた選畜、交配をしてきた人たちもいました。彼らは、こうした厳しい状況の中でも自分たちの作った「WAGYU」に自信を持って生産していきました。ただし、残念なことに多くの生産者は「WAGYU」の市場性に引かれて始めた人が多く、データの重要性、交配の大切さなどを理解していなかったように思います。こうした状況から、豪州「WAGYU」の供給が次第に需要を超えていきました。
この状況は、豪州「WAGYU」の牛肉市場に新たなチャンスを与えました。今まで、「WAGYU」といえば無条件に日本を対象にしていましたが、品質の良い商品が東南アジア、韓国、中国、欧州などに販売するようになったのです。ただし、その市場は本当に良いものだけが望まれる品質に対してシビアな市場でした。こうした市場の開発も、品質の良い「WAGYU」の発掘をする作業を後押しすることになりました。
こうして、「WAGYU」の発展は今までの右肩上がりから水平線をたどるようになって来ました。ただし、本当に良いものはまだまだ商品としてチャンスはあると信じていました。わたしが、それまで勤めていたレンジャースバレー牧場を退職して、自分の牧場を始めたのはちょうどそんな時期でもありました。今の豪州「WAGYU」に必要なのは何だろうか。自分でほかにないものを作れないだろうか。 そんな思いと、とてつもない幸運が重なって、いよいよ自分の和牛牧場をシドニー近郊のブルーマウンテンにて始めることになったのです。
投稿者プロフィール
- シドニー近郊のブルーマウンテンにある和牛牧場「 ベルツリー・オーストラリア」代表。日本人が営む唯一の和牛牧場として、オーストラリアで注目を集めている。
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