第7回 「厳しい牧場生活、多くの支援者と出会う」

 ベルツリー・オーストラリア代表・鈴木崇雄

2004年から続いていた干ばつの影響も07年に入り、次第に穀物の値段へ反映し始め、フィードロット の経営はさらに厳しい状況になって行きました。こうした中で、穀物肥育、特に長期肥育牛の生産は縮小されていくようになりました。そして、この槍先にあっ たのが「WAGYU」でした。今までのように日本方式に500日以上肥育していたものが次第に肥育日数の短縮を余儀なくされていき、多くの肥育業者が 「WAGYU」の肥育を中止するようになっていきました。わたしがブルーマウンテンの牧場の経営を始めた06年12月は、まさにそんな時機でした。

もとより井上氏が「美味しい肉を食べたい」という想いから始められた牧場を設備、家畜すべて含みでリース契約しました。もちろん、牧場を経営することに魅 力は感じていましたが、それよりも井上氏が思い描いていたような「WAGYU」の発展を現実に近づけたいという理想がありました。それは、ほかにない 「WAGYU」の肉をローカルの市場に流通させるというものでした。井上氏は過去15年以上の豪州滞在の経験から、本当に美味しいものは必ず売れると信じ ていました。ただし、肥育、加工、流通といったノウハウを誰かに託したいという思いから、この牧場をわたしに任せてくれたのだと考えています。

残念 ながら、このあたりの井上氏の本当の狙いはわたしの想像でしかありません。井上氏は、私がこの牧場を引き継いだ翌年の07年2月に他界されてしまったから です。今までここを訪れるたびに井上氏と話していたさまざまな計画は、実現半ばになっています。よい血統の牛をそろえる、種雄牛としての販売を基本収入と しながら肥育を始め、最終的にシドニーなどのマーケットに牛肉販売をする。これらをどのようにして実現していくか。牧場経営で家族5人が暮らしていけるの か、という不安はありましたが、やるべき命題は決まっていました。

幸いにして、07年はそれまでの干ばつがうそのように雨が降り、牧場内の牧草は非 常に良い状態に戻りました。08年の種雄牛販売に向けた子牛繁殖も始まり、順調に牧場運営を開始できました。しかし、失敗もたくさんありました。牧場内で 牛を移動中に、乗っていた馬が突然心臓麻痺で倒れ、その下敷きになってヘリコプターで病院に運ばれたときには、1人で仕事をする怖さを身にしみて感じまし た。幸い、家の近くであったからよかったものの、仮に敷地内の離れた場所であれば誰も見つけてくれません。今考えてもぞっとします。

勢い込んではじ めた受精卵移植で、ドナー牛(排卵用の雌牛)からひとつも受精卵が取れないこともありました。2週間以上かけて行ったプログラムでしたので、精神的にも、 金銭的にもかなり落ち込みました。08年4月、初めての種雄牛の販売を行いました。インターネットのウェブサイトを立ち上げ、カタログの配布、ネットオー クションの設定など2カ月以上を費やして準備したにもかかわらず、結局1頭も売れませんでした。

こうして、自分が思い描いていた牧場生活を始めたも のの、現実の厳しさ、自然相手の難しさを実感しています。このような失敗の繰り返しの中で、さまざまな人との出会いもありました。井上氏が亡くなられてか らもわたしたちのことを支援し続けて下さる井上氏のご家族、わたしが前職を辞めて直ぐにコンサルタントとしてわたしに活動の場を与えてくださったクイーン ズランド州の農場のマネジャー、私の農場に預託として牛を置いて下さり、なおかつ和牛の指導をして下さっている新潟の和牛生産者の方々、無償で和牛の血統 から繁殖技術まで教えて下さっている北海道の和牛生産者の方、まだ先の見えない肥育事業を支えて下さろうとしているシドニーのレストラン社長など、本当にさまざまな人達がこの暮らしを支えて下さっています。

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投稿者プロフィール

鈴木 崇雄
シドニー近郊のブルーマウンテンにある和牛牧場「 ベルツリー・オーストラリア」代表。日本人が営む唯一の和牛牧場として、オーストラリアで注目を集めている。