第2回 「和牛肥育技術者として永住申請」

 ベルツリー・オーストラリア代表・鈴木崇雄

1990年代の豪州の畜産業界は、日本のバブル経済が終えんしていたにもかかわらず、安価な生産コスト と為替の影響でまだまだ成長過程にありました。日本向けの牛肉輸出量も増えていたころで、特に穀物肥育牛の需要はかなりありました。96年まで、豪州の対 日輸出量は右肩上がりで増えていきました。それまでの豪州産牛肉のイメージといえば「赤身の多い安い肉」だったのですが、次第に国産の牛肉にも劣らない品 質の牛肉が求められてきました。

豪州産牛肉と日本国産牛肉の一番の違いは、牛の育つ環境にあります。一般的な豪州産牛肉は、その生涯を牧草によって 養われます。「グラスフェッド」と言われるもので、赤身が多く、脂が少ないのが特徴です。日本国産牛肉は、穀物によって肥育されたものが一般的です。その 肉は、適度にサシが入り柔らかいものです。豪州でも、日本向けに穀物で肥育した高品質の牛肉を生産するようになりました。穀物の配合や牛の選び方などを日 本から学び、試行錯誤を重ね、日本の国産牛と比べても遜色のない牛肉を提供できるようになったのです。

もう1つの違いは牛の品種です。豪州では、ア ンガス種、マレーグレイ種、ヘレフォード種などさまざまな種類の牛が飼養されています。穀物肥育、特に長期間の肥育に適しているのはアンガス種とマレーグ レイ種です。日本では、和牛、ホルステイン種の2種類が一般的です。自然交配で生まれ、草地で育った豪州の子牛は日本の和牛の子牛に比べて安価です。この ことが、豪州での肥育業の発展につながりました。豪州での肉牛穀物肥育は盛んになり、安価で高品質の牛肉が大量に供給できるようになりました。わたしがい たレンジャースバレー牧場も、1万2,000頭だった飼養頭数を2万4,000頭にまで拡大し、肥育日数を300日まで延ばして高品質牛肉生産の位置付けを確立しました。

当時、わたしたちの夫婦の取得していたビザは労働ビザで、基本的には最大4年間しか滞在できないものでした。95年になって、この ままではビザが切れて日本へ帰らなくてはならないという時に、レンジャースバレー牧場の社長が永住権の申請をしてくれることになりました。ただし、永住権 取得のためには、特別な技能を持った人物であるというのが条件でした。ちょうど、さらに良質な牛肉を生産するべく和牛交雑種への関心が強まっていた時期と 重なり、和牛事業を含めた肥育の技術者ということで永住権ビザの申請をしてもらうことになったのです。

96年当時は、豪州で「WAGYU」が存在することすらあまり知られていませんでした。日本から米国に輸出されているという和牛の存在、また和牛の血統など未知の世界で、「どのようにして豪州で和牛 を手に入れるのか」「どのような血統の牛が豪州の肥育に適しているのか」といった疑問に加え、餌の配合、肥育期間など分からないことだらけで頭を抱えてい ました。「日本人なんだから」ということで日本の情報を集めようにも、日本の和牛関係者は口をそろえて「豪州で和牛など無理だろう」と言うばかりでした。 こうした暗中模索の作業が、豪州に来て初めての「WAGYU」との関わりとなったのです。

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投稿者プロフィール

鈴木 崇雄
シドニー近郊のブルーマウンテンにある和牛牧場「 ベルツリー・オーストラリア」代表。日本人が営む唯一の和牛牧場として、オーストラリアで注目を集めている。