第11回 孤高の育種家

失われた6頭の種牛
「フルブラッド」(fullblood)─オーストラリアでは外来種の遺伝子が混じっていない和牛をこう呼ぶようです。邦訳では「純血種」という語がよく出てきます。
一方、アンガス種などの外来肉用種と交配して「雑種」となった牛を指す時には、「ハイブリッド」(hybrid)という表現を見かけます。
血統に混じりけがなければ「フルブラッド(純粋種)」、混じってしまえば「ハイブリッド(交雑種)」。この区分は日本でも同じです。ただし、日本では「ハイブリッド」とはあくまでも和牛同士の交配であり、優良形質の組み合わせを図って地域の系統間で交配された個体を意味します。一方「純粋種」とは、他系統の血を一滴たりとも入れていない牛。強力な遺伝力を備え、子孫には系統独自の特性が安定して発現します。
現在、日本の和牛は種牛も含めて大半が「ハイブリッド(異系統間交配)」です。「純粋種」を保持する方針を取っているのは、優れた肉質で知られる但馬牛などを産出する兵庫県のみです。そのほかの道県では、他系統の優良牛を積極的に取り入れて改良が進みました。その結果、地域の特質とは名ばかりで、日本の和牛はすでに “平準化”していると育種家たちは言います。すなわち、全国的にどの牛も似たような遺伝子の組成になっているという意味合いです。
■「ハイブリッド」の功罪
もちろん、経済性の高い良い肉牛を作るために「ハイブリッド(異系統間交配)」にする方法は正しいのです。しかし種牛も繁殖母牛もハイブリッド化が進めば、遺伝力は弱くなります。望ましい特質を回復させるためには強い遺伝力を持つ「純粋種」が必要だ─この育種哲学を掲げ、失われた「純粋種」を復元した育種家がいました。
宮崎県高鍋町の薦田長久氏は、既存の種牛造成方針に批判をつきつけ、宮崎県内で唯一の民間種牛農家として孤高の道を歩んできました。優良個体を用いて近親交配を繰り返し、選抜淘汰(とうた)しながら少しずつ原種に戻してゆく長い年月をかけた取り組みの末、10年前に勝気高(かつけだか)という種牛ができあがりました。発育がよく体積に富む気高(けだか)系(鳥取県)の「純粋種」です。あとは交配の指導をしながら精液ストローを広め、順々に枝肉成績を集積してゆけば「純粋種」の効能が証明される段階に来ていました。
ところが2010年4月、勝気高が6歳の春に郡内は口蹄疫の大流行に見舞われてしまいます。
■抹殺された「純粋種」
2010年7月13日、農水省の一室。民主党政権の山田正彦農水大臣は、相手から目をそらしたまま机の中央に置かれた要請書を黙殺しました。向かいに座るのは東国原英夫宮崎県知事。4月から大流行した口蹄疫のせいで宮崎県内の経済活動は減退し、県民は一日も早い終息宣言を待っていました。新たな感染はなく、すでに児湯郡の家畜は全頭殺処分済み─ただし5頭の県有種牛と6頭の民間種牛をのぞいて。
県有のスーパー種牛のうち5頭は特例措置によって殺処分を免れました。薦田氏は同じ特例措置を知事に求め、この日知事は政府に要請書を持参したのでした。当時この映像はテレビ各局で流れましたが、薦田氏の種牛が貴重な「純粋種」だという背景が報道されることはありませんでした。知事と政府との交渉は難航し、4日後、薦田氏はやむなく殺処分を受け入れました。長年の取り組みが振り出しに戻ってしまったのです。
それから3年を経た昨年夏─。筆者が薦田家を訪れた時、牛舎には種牛候補の若雄たちが体を並べていました。70代半ばにしてかくしゃくたる薦田氏は再び「純粋種」の復元に打ち込んでいました。
口蹄疫が中央ではすっかり忘れられた今も、和牛育種に魅入られた人びとの胸に燃える理想と不屈の忍耐力に惹かれて、筆者はフィールドワークを続けています。
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