第10回 守られた「つる牛」

「つる牛」とは、日本の村々で連綿と続いてきた和牛改良の歴史を象徴する存在です。

ある地域独自の優良牛系統を「つる」と呼びます。それは、優良形質が子孫に安定的に発現するまでに遺伝子が固定された牛群の系統です。系統内での繁殖や近親交配を重ねながら、選択淘汰(とうた)をして造成されます。遺伝のしくみが分からなかった時代に、植物の蔓(つる)をたぐり寄せると枝葉末節が明らかになるのに例えて、一頭からたぐり寄せて血縁関係が明らかになるという「系統」の概念を表したのだろうと言われています。「つる」のうちの優良な個体が「つる牛」です。

現存する「つる」はおおむね150年から200年近く前、江戸時代に造成されたもので、必ず個人名とともに記録されています。それは、繁殖規則や厳密な選択淘汰が必要な家畜改良に強力な指導者が不可欠だったからです。卓越した改良指導者が現れた時に初めて、村落単位の狭い地域で「つる」が完成しました。「つる」造成法は地域で秘蔵されるべき文化でした。

そのような「つる」の一つに、岡山県の「竹の谷づる」があります。宮崎県児湯郡の牛舎が2010年の口蹄疫で空っぽになった時、川南町の農家に「竹の谷つる牛」が委譲されました。後継者不足のため存続が危ぶまれていた「つる」を守るために、竹の谷(現在の新見市)の繁殖農家は雌牛、精液ストローともによそに託す決断をしたのです。

■おいしさの多様性

「竹の谷づる」の特色は、赤身の多さとその独自の味にあります。「つる牛」は特定の形質の遺伝子が固定された「純粋種」ですから、その牛自体が総合的評価で高級肉と勝負できるわけではありません。強力に遺伝する「つる」の特質をうまく利用できるよう、他系統と交配して「交雑種」を作るのです。

霜降り肉重視の和牛づくりでは、赤身が多い遺伝子はあまり評価の対象になりません。けれども、逆にその特質を改良に利用すれば牛肉の新しいおいしさが作れるのではないか─。この夢に賭けたのは、川南町で「いぶさな畜産」を経営する森木清美さんと友人の河野和央さんでした。

畜産経営45年のベテランのお二人には、高級和牛の味にはもっと多様性があってしかるべきだという信念があります。脂のうまみに頼るだけではなく、肉自体の味を賞味してもらえる牛肉を作ろう─。次世代に多様な牛肉のおいしさを知らせたい─。この森木さんの願いは、お孫さん2人の名前から取った「いぶさな」という会社名にも表れています。

2年半がたち、いぶさな畜産のブランド「竹の谷和牛」の肉は昨年3月に販売開始されました。口に入れたとたん、独特の風味が広がります。適度に入ったサシ(脂肪交雑)の甘さ。きわだつ獣肉(赤身)の香り。野趣あふれる味─と表現できるかもしれません。販売第1号を味わった筆者の印象です。

■消えつつある「純粋種」

高い理想を持っておいしい肉を作っても、霜降り肉を重視する現行の格付けのせいで、消費者に選択肢ができる以前に和牛農家の経営がなりたちません。生産から加工・販売まで手がける6次産業化に踏み出した「いぶさな畜産」ですが、販路の確保には苦労がともないます。

「いぶさな畜産」は2つの使命を引き受けました。ひとつは「交雑種」を使った新しい味の追求。もうひとつは、「竹の谷つる牛」自体を守る使命です。「交雑種」になると、いかに優れた肉になろうとも、次世代への強力な遺伝力は弱まります。「つる」すなわち「純粋種」は失われたら二度と再現できないのです。

岡山県の気候・地質・水・植物を基盤に培われてきた「つる」の遺伝子は、残念ながら故郷を離れざるを得ませんでしたが、分散消失を免れる間一髪のタイミングでもありました。和牛文化を継承する人びとの果断な挑戦はこれからも続きます。

 

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