第3回 動物のいのち、家畜のいのち
自らの体を食肉として人間に提供してくれる家畜。『古事記』の登場人物オオゲツヒメの理不尽な死に似ています。高天原を追放されたスサノオノミコトのために、オオゲツヒメは鼻や口や尻から取り出した食べ物を料理してもてなしますが、その様子をのぞき見たスサノオは、そんな汚いものを食べさせていたのかと怒り、オオゲツヒメを切り殺してしまいます。けれど死してなお、オオゲツヒメはその体から作物を生み続けました。
時は流れ、現代の日本。家畜たちの体が生み出してくれる食材は、栄養豊富で清浄な食べ物として、私たちの食卓には欠かせないものになっています。このように人間のためにいのちを代価にしてくれる貴重な家畜が、けがれたもののように廃棄されたことがありました。2010年4月に宮崎県で口蹄疫が発生した時です。
「この子たちの肉は、清潔で栄養があって、私たちの体の一部になるキレイなものなのに。なんであんな風に扱われないといけないの?」
畜魂慰霊祭で出会った若い奥さんの声はこわばっていました。口蹄疫終息から3カ月。山あいの1市5町という狭い地域で29万頭もの家畜が殺され、いまだ生々しい記憶に人びとは苦しんでいました。
「消毒だ、消毒だと真っ白に石灰をふりかけられて、まるで汚いもののように…」
彼女の目は一点をにらみながらうるんでいました。この地区では健康な家畜まで殺処分されました。感染のスピードを下げるためにワクチン接種を行い、時間稼ぎをしたあと全頭を殺処分して一時的に家畜の空白地帯を作るためでした。丹精込めて育てた家畜が食肉としてではなく、まるで汚いもののように、石灰まみれにされて深い穴の底に捨てられた…。彼女の無念と喪失感はそこにありました。
■家畜は「わが子」?
当時、家畜の死に同情する声は全国から寄せられ、「大地に眠るわが子たちへ」という哀悼の言葉が地元メディアに広まりました。けれども畜産農家が家畜にそそぐ愛情は、同情を寄せた人びとが想像したものとはいささか性質を異にしています。慰霊祭で悔しさをにじませた奥さんの言葉からは、殺して食べることを帰着点にして慈しむという生業のあり方が見えてきます。愛玩動物に対するような人間との同一視はありません。
もっとも、出荷して殺されても養い主と家畜との関係が消滅するわけではありません。枝肉成績が良ければその血統は人気を呼び、農家は母牛の血統を大切に維持してゆきます。「わが家の血統」と「わが子」の記憶が途絶えることはないのです。
■動物の権利と家畜
ところで、家畜と野生動物のいのちに違いはあるでしょうか。近年、世界的に捕鯨やイルカ漁への反対運動が盛んです。豪州政府も捕鯨に強い反対を表明していますが、筆者はこれを異文化への非寛容だと見るべきではなく、近代西洋思想が生んだ「動物の権利」擁護論の表れだと考えています。その証拠に、動物の権利論は、「工場畜産」と呼ばれる、西洋先進国での非人道的な家畜の扱いなども糾弾しています。この議論は明快で、すべて痛みを感じる動物には道徳的な配慮をすべきだというものです。動物に寛大な議論に思えますが、これは裏を返せば、人間と動物の世界を明確に区分した上で人間性を動物に投影する思想です。人間中心主義の動物観だと言えるでしょう。
一方、わが国の畜産農家の暮らしの中では、家畜と人は混然一体となって共存しています。
「ばあちゃんが百歳で死んだら、もうお祝いじゃろ?よう長生きしてくれた、めでたいって。牛もそう思って送るんだよ」
このように出荷の気持ちを語る人びと。わが家の「人間」と「動物」の境界線が曖昧模糊(あいまいもこ)となって調和している世界で、現代のオオゲツヒメたちは慈しまれています。
投稿者プロフィール
最新の投稿
企画・特集2019年7月19日パースで暮らす 最終回
企画・特集2019年6月21日第44回 オーストラリアで料理、計量について知っておきたいこと
企画・特集2019年5月17日第43回 海外にいても、ゴマは家庭料理の必需品─いりごまの作り方
企画・特集2019年4月18日第42回 ココナッツオイルで甘辛焼きうどん


