第36回 日豪友好の懸け橋に!茶室守り続けるロザリーンさん
日豪経済連携協定(EPA)が今年発効し、互いに親近感がさらに深まるオーストラリアと日本。しかし、第二次世界大戦では敵国関係にあったことから、オーストラリアでは戦後しばらくの間、日本文化に興味を持つ国民に向けられる目は厳しかったという。日本の茶道の魅力に引かれ、シドニーで裏千家の活動を支えてきたロザリーン・マクヴィティ(Rosaleen McVittie)さんに話を聞いた。
ロザリーンさんは御年82歳。裏千家淡交会シドニー協会の名誉会長で創設者でもあるが、「ロザリーンと呼んで」と気さくに迎えてくれた。夫のジョンさんは弁護士だったが、日本の文学や歴史に興味があり、シドニー大学の日本研究者アーサー・サドラー教授の下で勉強をしていた。ジョンさんは1958年、当時の日本の文部省が始めた奨学制度に最初の西洋人として合格し、東京大学で日本文学と日本語を学ぶことになった。ロザリーンさんも乳児を抱えて後を追ったが、支給された奨学金では生活できず、日本に滞在した4年間は明治大学短期大学部で英語を教えるなどして家計を支えた。空き箱をテーブルにするなど、節約生活だったという。「弁護士と結婚したと思ったら、本当に大変な生活が待っていた」そうだ。
ロザリーンさんが日本で目にしたのは、戦後の日本人の苦境。オージーが持つ日本の軍人のイメージとは全く違う、「普通の人の素晴らしさ」を知り、いかに日本人がオーストラリアで誤解されているかを知ったという。日豪友好の懸け橋になりたいと思ったきっかけだ。
茶道についてはジョンさんともども、サドラー教授の影響で知識があり、日本滞在中も稽古を続けた。
■茶室を広く提供
オーストラリアに戻ってきた63年にシドニー北部にある現在の住まいを購入。日豪通商協定も締結され、オーストラリアを訪れる日本人も増えた。当時はまだ白豪主義の時代。日本人に親切に接することで、周囲からは浮いてしまったという。日豪の交流団体が組織され文化的な交流も始まり、70年代にはシドニーに裏千家のグループを作る動きが強まった。73年には当時家元だった現在の千玄室さんが来豪し、組織が固まった。目指したのは裏千家も掲げている茶道の国際化と、茶道を通した世界平和への寄与だ。
ロザリーンさんの自宅の広い敷地には本格的な茶室が2部屋ある。ジョンさんが日本貿易振興機構(ジェトロ)がディスプレー用に持ってきた床の間などを譲り受けてガレージに保管していたという。緑豊かな庭に囲まれた茶室は、自然とのつながりを重視する茶道を「丸ごと経験できる場所」で、日本国外では珍しい。住宅ブームで広い敷地を売るよう勧める声が強まっているが「売ったら茶室は残らない」と、頑なに断っている。
千玄室さんとは家族同然の付き合いで、家元ゆかりの茶器なども保有する。茶室は流派を問わず広く提供しており、茶器も「誰でも自由に使ってもらってかまわない」そうだ。
■最後は同じ
現在のシドニーの茶道についてロザリーンさんは、かつての日豪友好を目的にした国際的な集まりから、日本人ばかりの集まりになりつつあることを残念に思っている。日本式の稽古は非常に洗練されているが、決まりごとも多く、日本のやり方に慣れていない人はとまどってしまうという。ロザリーンさんは茶道について、宗教や哲学と同じように、形式や道具、流派やアプローチが大きく異なっていても、最後に到達するレベルは「ユニバーサル」だと考えており、茶道の国際化を進めるには、背景の異なる人こそがそれぞれの違いを受け入れながら、オープンな気持ちで茶道の普遍的な経験を共有することが大事だと語る。
日豪の交流に寄与した功績で旭日単光章を受章しているロザリーンさんは、「(茶道の世界では)私は永遠に生徒」と笑う。帰り際、「今度はお茶を飲みにいらっしゃい。誰でもいつでも大歓迎。そのために私はここにいるの」と、庭で摘んだ色とりどりのツバキを持たせてくれた。
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