第7回 母としての資質がない?

和牛農家には「繁殖」農家と「肥育」農家の区別があります。繁殖農家は、保有している母牛に人工授精(あるいは受精卵移植)で子牛を産ませ、生後10カ月程度で子牛セリ市に出荷するサイクルを繰り返します。そのセリ市で子牛を買い、約20カ月かけて高値のつく肉牛に育て上げるのが肥育農家の仕事です。繁殖から肥育までの一貫経営農家ももちろん存在しますが、ノウハウの違う二つの行程を引き受ける一貫経営は、宮崎県のように高齢者農家が多い地域の小規模経営では難しい面があります。

血統管理、種付きの良さ、お産の具合、生まれた子牛の表現形、気性、太りやすさ、子牛期にしっかり体の基礎を作るノウハウなど、繁殖農家ではこのような経験知が蓄積されてゆきます。

一方、肥育農家では高い等級の肉を作る作業に細心の注意が必要になってきます。飼料構成や給餌量や微妙なビタミン投与期間の判断など、毎日気の抜けない作業に「胃の痛む思いだ」と語る人もいます。

なりわいの違いによって、人と家畜との関係も違ってきます。1年1産をめどに母牛が10年程度飼われる繁殖農家では、人と牛は長い年月を共にします。肥育農家では養い主と牛との関係は20カ月限りでリセットされ、そのつど子牛セリで買われた新しい牛が入ってきます。2010年の口蹄疫禍では、繁殖農家が独自に築いた血統が断絶しました。「わが家の血統」の記憶は、個々の牛たちとともにあった養い主の人生と合わせ鏡です。家畜を再び導入しても二度と取り戻せません。それゆえに、繁殖農家が語る喪失感には一段とやるせないものがありました。

■「経済動物」を慈しむ

けれども繁殖農家が牛をわが子のように慈しむ心情は、同時にそのわが子が「経済動物」であるという事実と表裏一体となっています。

「和牛繁殖農家の経営を圧迫するものは何だと思います?母としての資質がない牛なんですよ」

和牛農家の経営問題をめぐるインタビューでのこと。雌牛の話だと分かっていても、筆者は女性として文化人類学者として複雑な思いがしたものです。

人間社会では「母としての資質」の定義は、文化的背景と社会制度によって千差万別です。ところが和牛の世界での定義は単純明快でした。いかに生産性が高いか。つまり、一目瞭然でお金に換算できるテーマなのです。

「“あやこの5”がうちの稼ぎ頭だな」

にこにこして話してくれたベテラン繁殖農家のご主人は、こう続けます。

「買ったのが50万円だろ、1産目は雌で70万6,000円、2産目も雌で84万2,000円で売れたから。とうに元は取れてるよ」

“あやこの5”は3年前に買った繁殖用の母牛です。口蹄疫禍では家畜がすべていなくなりましたが、徐々に再導入を進めて今は母牛が11頭に増えました。中には血統と表現形を見込んでかなりの高値で買ってきた牛もいますが、例えば120万円もした母牛の1産目の子は40万円という平均値でした。もしこれで種付きが悪いともなると、まさに母としての資質がないと嘆かれるわけです。

生産性が低ければ、原価割れになっても餌代の無駄を防ぐために泣く泣く手放すしかありません。成牛市で安く取引されて肥育にまわされます。成牛市とは枝肉にするための肥育牛のセリ市ではなく、途中放棄される牛のセリ市です。(1)種が付かない(2)小さい子しか生まれない(3)気性が荒かったり乳量が極端に少なくて子が太らないこうなれば、「経済動物」として母の資質がないのです。

「いくら良い血統でもクズも生まれるんですよ。クズは原価を割って売るしか道がない」

いかにも非情な言葉ですが、繁殖農家の現実を言い当てています。「経済動物」を慈しみ育てるというなりわいは、経営的にも心情的にも切迫したバランスの上に保たれています。

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