第2回 ウィルス・家畜・グローバル経済の三すくみ
ミノタウロスとディーバ。読者は何を連想されるでしょうか。実はどちらも、近年豪州で行われた口蹄疫緊急対策演習の名称でした。
ギリシャ神話の牛頭(ごず)人身の怪物にちなんだミノタウロス演習は、東部三州で口蹄疫が発生したという想定のもとに、2002年に連邦政府と州政府が共同で全国規模の対応策を検討しました。
ディーバ(DIVA)は、2009年のビクトリア州政府による演習の呼称。「ディーバ(歌姫)」のイメージとはうらはらに、「感染とワクチン接種動物とを識別する」(Differentiating Infected from Vaccinated Animals)という物々しい語句の略語でした。この演習では従来の対策にはなかった取り組みが試行されました。口蹄疫に感染してできる抗体とワクチン接種でできる抗体とを疫学的に識別するテストです。これを行えば、ワクチン接種した家畜を生かしておく選択肢も出てきます。
■口蹄疫という悪夢
口蹄疫は偶蹄類の動物がかかる感染力の強いウィルス性家畜伝染病です。発生すれば、感染動物を迅速に殺処分して廃棄するのが基本です。家畜の殺処分や移動禁止による損害に加え、観光業も含めた地域の産業全体の疲弊を引き起こし、国際貿易では、ウイルスの撲滅が証明されるまでは家畜とその生鮮生産物は輸出できなくなってしまいます。
日本では2010年に宮崎県で発生し、29万頭の家畜が殺処分されました。豪州では過去に小規模な発生が4回あっただけで、1872年を最後に発生していませんが、仮に3ヵ月で終息したとしても、畜産・食肉処理産業部門だけで71億豪ドル(約6,456億円)の損害が出ると農業資源経済局が試算しています。
■生かすためにワクチンを
感染拡大防止のためにワクチン接種をした場合、今まではワクチン接種動物は感染動物と同様にみなされて全頭殺処分されていました。しかし、豪州では上記の演習の成果に基づき、新しい見解を組み込んだ国の防疫指針を2012年に打ち出しました。感染していないことが証明されれば、ワクチン接種動物を国内消費にまわす選択肢を示したのです。この方針には、2001年の英国口蹄疫大流行の教訓が生かされています。600万頭の家畜が殺された英国の大惨事は総計で80億ポンド(約1兆2,074億円)という莫大な損害をもたらし、全世界で殺処分方式に大きな反省が寄せられました。
これを機に、欧州家畜協会の国際規約が転換しました。ワクチン接種動物を生かしておいても、感染していないことが抗体識別テストで証明されれば「感染家畜が存在しない国」と見なされ、清浄国に復帰できることになりました。抗体識別が可能な「マーカー」ワクチンの開発が近年進展したことも寄与しています。
実は、2010年に宮崎県で使用されたのも「マーカー」ワクチンでした。ところが日本政府はこのような選択肢があることを国民に伝えていません。たしかに、ワクチン接種家畜の肉は価格暴落の可能性があり、清浄国復帰は終息後3ヵ月のところが6ヵ月に延期されてしまいます。どの国の政府も、グローバル経済と地域の産業をてんびんにかけねばならず、豪州も、この選択肢の採否は「社会的・経済的要因に左右される」と認めています。しかし、判断基準を明文化している豪州とはちがい、情報を開示せずに旧来の全頭殺処分指針を固守する日本政府は、明らかに国際ルールから外れているのです。
殺処分しか方法がないと告げられ、泣く泣く健康な家畜を埋却地へ見送った生産農家たち。家畜の神様オオゲツヒメのために、各地で慰霊祭が行われました。多くの畜魂碑にはワクチン接種をめぐる無念の言葉が彫り込まれています。
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