第4回 知的財産としての和牛遺伝子
豪州はいま空前の“ワギュウ”(WAGYU)ブームのようです。日本でも昨年5月にNHKが特集番組を放映しました。値段が倍以上でもWAGYUを使ったステーキやハンバーガーが大人気であることや、外国種に和牛の遺伝子を交配した交雑種だけでなく、純血種を数千頭規模で飼養している牧場も豪州国内にあること、また中国・韓国・ロシアなどへの枝肉輸出のほか、豪州産WAGYUの精子と卵子まで中国やアメリカに輸出されていることなどが報道されました。
和牛作りの本場・宮崎県で調査中の筆者としては、和牛の遺伝資源が豪州だけでなく世界に流出している現実に複雑な思いを抱かずにはいられません。なぜなら、家畜の遺伝資源というものは各地域での長い年月をかけた育種・改良のたまものであり、改良機関や生産農家が努力を積み重ね、税金を使って作り上げた国家の知的財産であるからです。
■日本政府の方針
1997年から1998年にかけて、米国に和牛の生体128頭と精液ストロー1万3,000本が輸出され、さらにその遺伝資源が豪州に渡りました。これを皮切りに交雑種などが海外で生産され、WAGYUという名のもとに日本に輸入される現況につながってゆきました。
2006年には農水省内に知的財産戦略本部が設置され、2007年にかけて「家畜の遺伝資源保護に関する検討会」が行われました。検討会は「国民の財産である和牛の遺伝資源が海外に流出することを良しとしない」という方針を打ち出し、遺伝資源の保護・活用についての提言を実行する段階に入りました。
一方で、検討会では現実的な事情もよく理解されていました。経済行為として和牛の遺伝資源を海外で利用する個人や商社の活動を防げない一面もあること、また「安くて、ほどほどに、まずくなければよい」といった消費者側の希望もあるという現実です。
■遺伝資源と種雄牛
和牛の遺伝子は、種雄牛(しゅゆうぎゅう=種牛)の冷凍精液ストローという形で流通します。もちろん母牛(卵子)の遺伝力も種牛と同様に重要ですが、精液の場合は1頭のオスから10万頭以上の子を産出することも可能なので、同時にたくさんの交配実験ができます。家畜改良にかけてはオスの役割がけた違いに大きいわけです。
日本では精液を入手するには3つのルートがあります。肉用牛改良事業を実施している道県の事業団、国の家畜改良事業団、そして民間の種牛生産農家です。1940年代からの肉用牛改良事業は都道府県を単位としたため、各県が独自の和牛の系統を持つという群雄割拠の状況ができあがりました。県有の種雄牛の精液は、原則的に県外への流通を禁止されています。
種雄牛作りには膨大な時間と手間と費用がかかります。また、申し分のない種牛候補が育成されたとしても、遺伝性疾患の因子が受け継がれてしまうこともあります。先日筆者のもとに、種牛づくりに取り組む農家から電話がかかってきました。期待をかけていた種牛候補の子牛が、血液検査で遺伝性疾患の不良因子を持っていることが判明したそうです。落胆は隠せません。
■「明日、去勢せにゃならん」
交配から母牛の妊娠期間を含めると、ここまで育つまでに1年と8ヵ月。この子牛にかけてきた夢との決別の言葉でした。
今後和牛遺伝子が無制限に海外に流出したり、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉の行方次第で日本の畜産業が廃退するとすれば、「わが家から種雄牛が出る」という牛飼いのロマンは忘れられた伝統文化になるのかもしれません。和牛の遺伝資源は国民の知的財産です。いま私たちは、それをいかに順当に保護・活用できるかについて議論を尽くすべき時代に立っているのではないでしょうか。

種雄牛となるにふさわしい血統と体格を持っていた子牛。遺伝性疾患の因子が発 見されたので、肥育用去勢牛として今月のセリに出される。養い主に夢を見せてくれていた生後7ヵ月頃の写真。
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